学校沿革の概要
須崎工業高等学校
昭和16年 | 高知県立須崎工業学校として開校 「機械科一種」「機械科二種」設置 (元郵政大臣寺尾豊氏の巨額の私財提供) |
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昭和19年 | 「造船科」設置 |
昭和23年 | 高知県立須崎工業高等学校として発足 校歌制定 |
昭和27年 | 「電気通信科」設置 |
昭和31年 | 創立15周年並びに校舎災害復旧建築 落成祝賀式典を挙行 |
昭和34年 | 「化学工業科」設置 |
昭和36年 | 創立20周年記念式典を挙行 |
昭和38年 | 「電気科」設置 |
昭和40年 | 「電気通信科」募集停止 |
昭和47年 | 全校新校舎(多ノ郷)へ移転 移転新築落成式並びに創立30周年記念 式典を挙行 |
平成元年 | 創立50周年記念式典を挙行 |
平成4年 | 生徒憲章の碑建立 |
平成5年 | 学校のシンボル「錨」設置 |
平成6年 | 造船科設立50周年記念式典、プロペラ設置 |
平成14年 | 「工業化学科」募集停止 「電気科」を「電気情報科」へ改編 |
平成18年 | 「ユニバーサルデザイン科」設置 |
平成26年 | 「県立高等学校再編振興計画」で統合決定 |
平成28年 | 災害時避難誘導灯設置 |
平成29年 | 須崎総合高校卒業1期生となる生徒入学 「機械系学科(機械専攻・造船専攻)」 「電気情報系学科(電気専攻・電子情報専攻)」 「システム工学系学科(機械制御専攻・住環境専攻)」へ改編 |
平成31年 | 継承式・閉科式を挙行(創立78年) |
須崎高等学校
昭和21年 | 須崎中学校、須崎高等女学校として開校 場所は城山公園南麓の鍛冶町 |
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昭和23年 | 高知県立須崎高等学校として発足 久礼町に「被服科」設置(久礼分校) 「双鳩」校章制定 |
昭和26年 | 校歌制定 |
昭和29年 | 「商業科」設置 |
昭和30年 | 鳩友会(須崎高校同窓会)発足 |
昭和32年 | 校旗制定、学校図書館設置 |
昭和36年 | 全新校舎(下分甲)へ移転 |
昭和39年 | 体育館完成 |
昭和47年 | 格技場完成 |
昭和59年 | 北舎完成 |
昭和60年 | 南舎完成 |
昭和61年 | 創立40周年記念式典を挙行 「自主自立」記念碑除幕式 |
昭和63年 | 「被服科」を「家政科」へ改編 |
平成8年 | 創立50周年記念講演・記念コンサート 「今を生きる」記念碑除幕式 |
平成14年 | 「普通科」「商業科」を「総合学科」へ改編 |
平成15年 | 総合学科棟完成、第1回総合学科発表大会 |
平成20年 | 部室棟完成、久礼分校閉校 |
平成22年 | 第1回南海地震フォーラム開催 |
平成25年 | 津波避難階段設置 |
平成26年 | 「県立高等学校再編振興計画」で統合決定 |
平成29年 | 須崎総合高校卒業1期生となる生徒入学 「総合学科」を「普通科」へ改編 |
平成30年 | 創立72周年記念式典挙行 |
須崎総合高等学校に統合
須崎総合高等学校
平成29年 | 須崎総合高等学校卒業1期生となる生徒入学 普通科:「総合学科」から「普通科」へ改編 工業科:「機械系学科」、「電気情報系学科」、「システム工学学科」へ改編 |
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平成31年4月 | 高知県立須崎総合高等学校として開校 第3期生入学 |
令和2年3月 | 第1期生卒業 高知県立須崎総合高等学校同窓会発足 |
教育方針
「人を思い 人とつながり 人に役立つ」人材の育成を目指す
教育目標
- 寛容と友愛の精神を育みます
- 志をもって勉学に励み、幅広い教養や専門的知識・技能を育みます
- 未来の社会を担おうという気概と創造力・行動力を育みます
目指す学校の姿
★高吾地域拠点校としての教育の充実
大学進学等にも対応できる学力を身に付けさせるとともに、体験的な活動を通して勤労観・職業観を養うことで、進学から就職まで、生徒の多様な進路希望を実現します。
- ・習熟度に応じた授業の実施やきめ細かなカリキュラム編成による学習指導の充実
- ・国公立大学進学に、より対応できる教育課程の充実
- ・幅広い知識・技術を学ぶとともに専門分野を深く学ぶ体制を整え、職業教育の充実を図るとともに、就職支援を強化
★地域を支える人材の育成
- ・防災教育を通して地域と連携
- ・地域おこし活動の充実
★生徒が切磋琢磨できる環境づくり
- ・生徒の希望に応じた多様な部活動の充実
- ・生徒会活動や体育祭・文化祭等の特別活動の充実
校訓「友愛・協働・貢献」
本年度教育重点目標
- 基本的生活習慣の確立
- 学力の向上
- 自主性の育成
- 人間尊重の精神の涵養
- 部活動の活性化